全力で萌えつきることをここに誓います
※ネタバレ水曜日
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■ブラザーコンプレックスⅢ(黒ファイ+ユゥイ)44ページ/450円
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サンプルは続きに掲載いたします。
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この期に及んで直していたらページが膨らみました。大変申し訳ございません。
■ブラザーコンプレックスⅢ(黒ファイ+ユゥイ)450円
◇八月二日
じーわじーわじーわ、と聞こえる蝉の声を聞くと、より一層暑苦しく感じるのは何故だろうかと、化学教師は死んだ魚のような瞳でぼんやりと天井を見遣った。
今年、体育教師と化学教師は新しく入学した一年生を受け持ち、昨年と違う優雅な夏休みを送っていた。夏休みと言えども教師は変わらず毎日堀鐔学園へと出勤し、なんだかんだで一日が過ぎる。しかし昨年とは違い今年は融通が利く。今日も自分の好きな時間に出勤し仕事を終わらせて帰ってきた化学教師はふと昨年の夏休みを思い出し、忙しかったなぁとごろりと寝返った。窓へと視線を向けると眩しい日差しに瞳を閉じ、大きく息を吸う。
そういえば最近の梅雨は雨が降らない。今年もあんまり降らなかった、暑い、と長い独り言を心中で零し、化学教師は冷たいフローリングをまたごろりと寝返りを打った。
冷房が効いているはずの室内も蝉の声で暑苦しい。蝉の声は夕方になって一層激しさを増したようで、化学教師はいらいらと髪をかきあげる。けれども少しも涼しくならず、蝉の声にぐったりと瞳を閉じるとすっと息を吐いた。そしてこの呪文の言葉を唱えれば世の中どうとでもなる、と遠い昔に教えられた呪文を暑い、と唸りながら口に乗せた。
「かーんじーざいぼーさつ、まーかーはんにゃーはーらーみったーしんぎょう、チーン……」
「……。チーンまで口で言うな」
「だって暑いー般若心経でも唱えてないと心頭滅却できないよー」
無駄な知識ばかりある日本文化かぶれの化学教師の喚きに、この部屋の住人である体育教師は手にしていたマガジンを閉じた。そしてフローリングに散らばる金の髪をぞんざいに撫でる。
「まったくおまえは無駄なことばかり知ってるな。ちなみになんださっきの般若心経は。ちゃんと漢字で発音しやがれ」
「いいじゃんー。弘法大師はそんな小さなことなんて気にしないよー」
「……おまえ相変わらずマニアなこと知ってんな。イタリアの本屋には空海の本でもあんのか?」
「違うよー。オレの叔父さんがー、仏像修復師なのー」
ぺろりと返された、馴染みの無い単語に体育教師が眉を顰める。
「……仏像修復師?」
「そうだよー」
言ってなかったー?とフローリングから見上げられ、黒鋼はふと黙り込んだ。考え込みながら金の髪をくるくると指に絡ませ、呟く。
「……日本には仏像修復師なんて、そんなにいないはずだが…」
「そうみたいだねー」
頷き、ぐりぐりと額を黒鋼の足に擦り付けると甘えるようにファイの細い指が太腿を撫でる。
「でも珍しいねぇ。仏像修復師なんて、あんまり知ってるひといないけど」
黒たん意外と物知りだねーところりと顔をこちらに向けた化学教師へ、また体育教師は口を開いた。
「……ちなみに、名前聞いても良いか」
「アシュラ」
ガツ、と黒鋼の後頭部が小気味良い音を立てた。
「ちょっ、黒たん大丈夫?」
突然頭をぶつけた相手にファイがフローリングから身を起こした。顔を覗き込み、大丈夫?と問うてくる相手に大丈夫だ、と返すと黒鋼は低く唸り、ため息を吐き出した。さすさすと後頭部を撫でてくる手にファイを見返し、あのな、と続ける。
「んん?」
「俺の親父が死んでもう二十三年になる」
「っ、えっ?」
「今年は帰ろうかと思っていたところだ」
「あ、そうなの?じゃあ夏休み静かだねぇ」
「おまえは帰らないのか、イタリア」
「あはははーオレが帰るとこなんて、この堀鐔学園の職員宿舎しか無いよー」
あっけらかんと返された言葉に、黒鋼がファイの頬をくすぐった。
「だったら俺と一緒に来い」
蝉の声が急に激しさを増した。その蝉の声にしばらく耳をじっと傾けていたファイが、別に行ってもいいけどー、と首をきょとりと倒した。
「今まで黒たん、そんなこと一度も言わなかったじゃん」
なんで?とまた首を反対に倒してファイが問うと、紅い瞳がちろりと逸らされる。
「別に」
「ふぅん」
へんな黒たんーとファイが続け、いつに帰るのー?と壁に掛かっているカレンダーへと目を凝らした。
◇八月十二日
堀鐔学園から新幹線に乗り、在来線、バスを乗り継ぎ気付けば移動だけで四時間が経過していた。陽射しは幾分か和らぎ、肌に触れる空気もさらりとしている。バスを降りてすぐに見つけた小さな花屋で花を買い、緑が色濃い辺りをきょろりと見渡すと、黒鋼はこっちだ、とファイに坂の上にある大きな寺院を指差した。
「お墓ってどこにあるの?あのお寺?」
「ああ」
暑いねぇ、とファイが玉砂利をざりざりと楽しげな音を立てながら歩いていると、緩やかな坂道を上り切ったところでその音がぴたりと止んだ。
ファイは墓前へとささげる菊の花を持ったまま、ぽかんと目の前の着流し姿の男を見上げた。山門に背を凭れさせ、不敵に笑っている人物は誰だろうと首を傾げていると、ファイの隣にいた黒鋼から小さく舌打ちが聞こえた。
目の前の男はファイには一目もくれず、ただにやにやと隣の黒鋼を見ている。その男の瞳は黒鋼と同じ紅で、どことなく近寄りがたい空気を身に纏っていた。
これは一体どういうこと、と震える手をきゅっと握ると、手にしていた菊の感触にハッと我に返り、ファイはやっと息を吸い込んだ。
一言で言えば精悍だ。今日明日、死にそうにも見えない。そしてどこをどう見てもこの人物は彼の父親だとファイが本能で理解し、わなわなと震える肩をどうにか宥めて自分の隣に立っている男を見上げた。そして不躾にも菊でその人物を指し、ただ一言叫んだ。
「生きてんじゃん!」
「生きてたな」
残念ながら、と呟く体育教師は、完璧に明後日のほうを向いている。
「なにゆってんのッ?じゃあ牛乳とトマトジュースを混ぜて飲んで心肺停止とか全部嘘ッ?」
「俺は牛乳とトマトジュースだけは死んでも飲まねぇ」
「だからってなにそんな愉快な死因で勝手に殺してんのっ?」
バカ!とファイが黒鋼を叱り、次に深々と頭を下げた。
「すみません、生きていらっしゃると伺ってたら菊なんて持ってこなかったのに!」
そこまで忙しなく続け、ファイがぱっと顔を上げた。
黒鋼の父親はそこでやっとファイの顔をまじまじと見つめ、ぞり、と顎を撫でた。
「……なんだこの綺麗でかわいらしい生き物は。妖精か?」
「イタリア人だ」
「オスか、メスか?」
「男だ」
黒鋼の返事に、そうか、と大きく頷いて息子と同じ紅い瞳を細め、真面目腐った顔で呟いた。
「オスの妖精か」
よろしく、と同僚の化学教師に向かって手を差し出す父親の尻に、黒鋼は思い切り後ろ回し蹴りを叩きつけるために大きく振りかぶった。
◇
堀鐔学園から新幹線に乗り、在来線、バスを乗り継ぎ、坂の上を上りきったそこは弱肉強食の世界だった。
黒鋼の右足は痛烈な後ろ回し蹴りを決める直前で止められ、あっという間に体の軸を奪われたのかファイが気付いた時には玉砂利へと仰向けに倒れている黒鋼の姿が見えた。
一瞬だけ神隠しにあっていたのかとファイがぽかんといつの間にか倒れている黒鋼を見ていると甘い、とすぐそばで声が聞こえ、はっと気付いた時にはその人物はざりざりと砂利の音を鳴らせて振り返りもせずに消えて行った。その姿を見ながら、きっと日本のサムライとかニンジャはこんな感じだとファイはただ呆然と立ち竦んだ。
武家屋敷かというような広い家に通され、夕食はきっと精進料理だと心をときめかせていると豪華絢爛な舟盛りだった。血生臭い、と透き通った魚の切り身を睨みつけているとその舟盛りの前でサムライは手の甲につけた塩を舐めながら酒を飲んでいる。
恐る恐るファイが住職の前に座り、ぺこりと頭を下げるとにやりと笑みを向けられた。
「名前は?」
「あ、ファイ・D・フローライトと申します」
「なんて呼べば良いんだ」
くる、とファイの隣にいる黒鋼へと顔を向けると、なんとでも呼べ、と素気無い答えが返った。
「ファイ、ディー?ディーってのは何の略だ」
そういえば聞いたことがないなと黒鋼が卓袱台に肘をつき、隣のファイを見遣った。当の本人は考え込むように首を傾げ、右斜め上を向いている。適当な答えを見付けたのか、んー、と呟き、蒼い瞳を再び前へと向けた。
「一種の願掛けですね、父親の」
適当な返事にふぅん、と返し、教師か?とまた息子へと問うた。
「うちの化学教師だ」
「そうか。職場恋愛なんだな」
「しょ、職場恋愛って」
「どうして日本に来たんだ?」
何気なく問われた言葉にファイが詰まり、のろのろと箸に手を伸ばした。箸を取ったが何も食べられるものがなく固まっていると、隣の箸がひょいひょいひょいと小皿に切り身を移し、ぽす、と金の髪を撫でた。
焼いてもらってくる、とファイの髪を無言で撫で、ファイもにこりと返した。つい出てしまった笑みにはっと気付き、ファイが慌てて前を向くと頬杖をついてにやにやと笑っている住職の姿がそこにあった。なんとも居た堪れなくなり頭を下げる。
「すっ、すみません」
「構わん。恋人同士なら普通のことだ。刺身は食えねぇんだな」
悪かった、と謝罪され、ファイがふるふると首を振った。
「好きなもんはあるか」
好きなもの、と急に問われ、ファイが押し黙った。とりあえず昨日ふたりで食べた昼食を思い出し、首を傾げながら答える。
「そうめん、ですかね?」
「そうめん?そうか。だったら明日の昼はそうめんだな。あと、うちのが作るわらび餅は最高だから作ってもらおう」
それが良い、と続けて、住職は満足そうに酒を飲んだ。うまい、と舌を鳴らしてまた酒を舐めるように飲む住職を、ファイはしげしげと見詰めた。
黒鋼には生臭坊主だと教えられた。頭は丸めておらず、酒は飲むしこの食卓には肉も魚も並んでいる。このひとたちも肉や魚も食べるのかと住職である彼を遠慮もなしに見詰めていると、面映そうに肩を竦めて酒をコトリと置いた。
「なんだよ、照れるじゃねぇか」
「いえ……かっこいいなーと思って」
「そうだろうそうだろう。おまえもかわいくて美人だぞ」
カラカラと笑ったところで黒鋼がコラ、と言いながら戻ってきた。何笑ってんだと住職を睨みつけ、ファイに火を通した切り身が乗った小皿を渡す。住職はにやりと男らしい笑みを息子へと向けると、身を乗り出しておい、と声を掛けた。箸を取り、マグロの切り身を口に運んだ黒鋼は何だよ、とぞんざいに返す。
「教師はうまく行ってるのか」
「まぁな」
「おまえが結婚をしないのは、不能だからだと思っていた」
息子を気遣う会話は一瞬で終わり、マグロが喉に詰まったのか、ぐ、と黒鋼の箸が止まる。ぶほ!と口の中のものを全て食卓へとぶちまけ、それから数度激しく咳き込むと卓へと上体が沈んだ。
「ちょ、黒たん大丈夫!?」
思わずファイが黒鋼の背中を叩いた。その親しい呼びかけにふと住職が首を傾げ、息子に問う。
「黒たん?おまえそんなかわいい名前で呼ばれてんのか」
「あ、すみません、黒鋼先生、大丈夫?」
「黒たんかーかわいいなぁ」
にやにやと笑いながら住職が突っ伏した黒鋼を見遣り、未だ突っ伏している息子へとカラカラと言葉を投げた。
「不能じゃなかったのかーははははは」
母さん赤飯だーと台所へ向かって声を張り上げた住職に、ファイが首を傾げた。じっくりと考え込み、突っ伏している黒鋼をじっと見詰める。
「不能?」
首を傾げながらの言葉を受けて住職がああ、と続け、にやりとまた口角を上げた。
「漢字は分かるか?」
「はい。大好きですけど」
「能力の上に打ち消しがついて能無しってことだ。つまり、勃たねぇってことになる」
下品にも中指を立て、突き上げる動作をしながらにやりと笑う父親をぽかんと眺め、次にファイが隣で撃沈している黒鋼の後頭部を眺めた。そして納得したのか口を開く。
「……えっ?不能?不能ってそういう意味なの?っていうか誰が不能っ!?」
毎回、それなりに泣かされているファイが不能の言葉を理解し、聞き捨てならないとばかりに黒鋼へと眉を吊り上げた。
「なんだ。やっぱりセックスしてんのか」
ふたりのやり取りに頬杖をついて笑い、にやにやと父親は息子を見遣った。
「良かったなぁ勃って」
「……その口を今すぐ閉じろ」
「しかし選りに選って妖精か。父さんは安心したぞ」
な、とファイの顔を覗き込み、にかっと笑みを向けるとぐしゃぐしゃと金髪を撫でた。
「う、うわ」
ぐしゃぐしゃとかき混ぜられながら小さく叫び、ファイが黒たん、と黒鋼の名を呼ぶ。その声に黒鋼がすぐさま顔を起こし、父親の手をはたいた。
「こら、触んな」
「ああ、悪い悪い。あまりにもかわいくてな」
ぱっと手を離し、紅い瞳が柔らかくファイの瞳を覗き込んだ。視線が合うとその瞳はますます細められ、その笑みにファイはぎこちなく視線を逸らす。ふらりと食卓の上に視線を走らせたファイは味噌汁を引き寄せると中身をぐるぐるとかき混ぜ、浮かんだ麩をぱくりと口に運んだ。
◇
風呂に入り、黒鋼とファイが通された二階の客間へと足を運ぶ頃には二十三時を回っていた。
とにかく疲れた。一緒に風呂へ入れと風呂へ押し込まれ、始終ふたりは無言だった。気まずく、そして気恥ずかしい空気で廊下を歩き、ファイが行き着いた部屋のふすまを指差す。
「……この部屋?」
「……ああ」
開けるね、と静かにふすまを引くと、そこはほの暗く光を調節されていた。
一組だけ用意された布団、照明は趣のある有明行灯で、すぐそばにはティッシュボックスが用意されていた。もしかしたらあれは避妊具かもしれない。それを認めてファイがぐったりとふすまに手を突き、うな垂れる。そしてただぽつりと呟いた。
「……ムーディ……」
「……なに考えてんだあのくそジジイ……」
低く響いた声にファイは肩を竦め、ちろりと隣を見遣る。
「お父さんって意外とムード派なんだね」
きみもちょっとは見習ったら、と黒鋼へ返すと、ファイはその部屋へと足を運んだ。すたすたと歩いていくファイに黒鋼が眉を寄せる。
「おい、こんな部屋で寝るのか?」
「今日はちょっと疲れた」
少しトーンが低いファイの声に黒鋼は肩を竦め、後ろ手にふすまを閉めた。タン、と静かに響いた音にファイは照明を落とし、いつもと同じ布団の左側へ腰を下ろす。ころりと寝転がると暗闇の中で黒鋼の気配をすぐそばに感じ、自分と同じく身を横たえた相手へと手を伸ばしてきゅうと抱きついた。抱きついたと同時に頭を抱きこまれ、いつもと同じように髪に口づけを落とされる。
もう寝ろ、と落ちた言葉に黒鋼の胸に頬を押し付けると知らずに大きなため息が漏れた。すると緩んだ気とともにぽつりと言葉が口を突いて出た。
「……疲れた」
「悪かったな、本当に」
ついぺろりと出てしまった言葉にファイがぱっと胸から顔をあげ、ふるりと首を振った。
「や、違うんだよ。ちょっと移動がしんどかったかなって」
「嘘つけ。賑やかなのは苦手だろう。悪かった連れてきて」
黒鋼の手がファイの頬を労うように撫で、髪をひっぱる。その仕草に口をへの字に押し曲げていたファイがのろのろとまた黒鋼の胸に顔を埋めた。
「……疲れた」
「お疲れさん」
「……だってオレ、こんな賑やかなごはんなんて食べたことないもん……」
「いっつもうるさいだろうがおまえは」
「……初体験なんですー」
そうか、と黒鋼が返し、ファイの足を挟みこんだ。ファイの冷えた足がじんわりとあたたかくなり、いつもの寝る体勢にファイも黒鋼の背に手を回して瞳を閉じた。
こうして抱き合っていても心地よい。
夜は冷えると言っていた黒鋼の言葉は嘘ではなく、肌になじむいつもの体温にも心が凪ぐ。瞳を閉じて耳を澄ますと、このひとつ屋根の下にいる他人の気配に小さくファイの口が笑みを刻んだ。
「……きみってこんな賑やかな家庭で育ったんだね……」
「まぁ、静かではねぇな」
「……おじさんって何かの武道やってるの?」
「古武道だ」
あいつにはまだ勝てねぇ、と悔しげに落とされた言葉にファイが胸に抱かれたまま小さく笑った。
「きみが剣道やってるのもおじさんの影響?」
「道を学べって言われてな」
ふぅん、とファイが返し、鼻を胸に擦り付けた。
思えば、今まで黒鋼とこのような話をしたことはない。
剣道をやっていることも、体育教師の道を選んだことも、両親のことも、実家がどこなのかも気にしたことは無かった。
「……大事に育てられたんだねぇ」
それには微妙な沈黙が返り、ファイが思わず小さく笑った。ぺったりと胸に頬を擦り付けて瞳を閉じ、ただとくとくと響く心音に体の力を抜いた。
「……やっぱりきみに触れてると落ち着くー」
「そりゃ光栄だ」
はは、と笑った黒鋼に、ファイは抱き締められたままむっつりと顔を上げた。
「っていうかー、今まで一度も実家が寺なんて聞いたこと無かったんですけどー」
「おまえも一切自分のこと喋らなかっただろうが」
「……そうだけどさー」
じゃあどうして話してくれたの、とファイが問うと、黒鋼がなでなでと頬を撫でた。よしよし、と猫をあやすように頬を撫でられ、話を逸らされたと思ったファイが唇を尖らせた。その顔にく、と笑い、尖らせた唇を啄ばんだ。
「明日、本尊を見せてやる」
「ご本尊?」
「うちの本尊も古くてな。ついこの前だ、修復したのは」
十年くらい前か?と続いた言葉に、ファイが目をぱちぱちさせた。
「あ、そうなの?」
「修復したのは、アシュラっつう修復師だ」
しん、とふたりの間に奇妙な沈黙が落ちた。
虫の声が静かに部屋を満たし、ごく近い位置でふたりはお互いの顔をただ黙って覗き込む。すごい偶然、などとは言えず、ファイが狐につままれたような表情で呟いた。
「……マジで?」
当たり前だバカが、と黒鋼が小さく言葉を落とし、しっとりとファイの唇を塞いだ。
■うんぽこめのもっそ ニ長調 作品3(小龍ユゥイ+ファイ)450円
四月。
小龍は堀鐔学園大学部 工学部建築学科へと進学した。
時計が欲しいですと珍しくおねだりされ、進学のお祝いにと手渡すと嬉しいです、と年相応の笑顔を浮かべて早速腕にはめていた。
その時計をはめた腕で背後からぎゅうぎゅう抱き締められながら、ユゥイは手早くフライパンを動かす。けれども背後にぺったりと張り付いている小龍が邪魔で仕方が無い。
「小龍くーん、邪魔なんだけど」
何拗ねてんの?とフライパンを動かしていた腕を止めると、ちろりと見上げられた。その咎めるような視線にユゥイがなぁに?と視線で問うと、小龍がむっつりと口を開いた。
「今日、大学のバスケ部に行ってみたんですけど、早速言われましたよ」
「ん?何を?」
「ファイ先生の双子のユゥイ先生。超美人だって。先輩たちはあなたがここに来る前に大学に行かれたみたいで、死ぬほど悔しがってました。なんで大学部にまであなたのことが知れ渡ってるんですか」
「いや、それをオレに言われても知らないけど」
「浮気したら殺しますからね」
「浮気って、たとえば誰と?」
「生徒とか」
真面目腐った顔で返った言葉に、ユゥイが吹き出した。
「く、あははははは!言い寄ってくる生徒なんてきみくらいなもんでしょ?そんなかわいいこと言わないでよ」
笑いながら振り向かれ、小龍がむっと鼻を鳴らせた。すぐそばにある肩を服の上から噛み、うなじを舐めるとちょっと、と声が落ちる。
「何か食べたいって言ったのきみでしょう?もうちょっとで出来るから待って」
「ユゥイさんで構いませんよ」
囁き、小龍が首に残った痕にじっくりと歯を立てた。
「……んー。痛」
「肩の噛み跡も、薄くなってきましたしね」
◇八月二日
じーわじーわじーわ、と聞こえる蝉の声を聞くと、より一層暑苦しく感じるのは何故だろうかと、化学教師は死んだ魚のような瞳でぼんやりと天井を見遣った。
今年、体育教師と化学教師は新しく入学した一年生を受け持ち、昨年と違う優雅な夏休みを送っていた。夏休みと言えども教師は変わらず毎日堀鐔学園へと出勤し、なんだかんだで一日が過ぎる。しかし昨年とは違い今年は融通が利く。今日も自分の好きな時間に出勤し仕事を終わらせて帰ってきた化学教師はふと昨年の夏休みを思い出し、忙しかったなぁとごろりと寝返った。窓へと視線を向けると眩しい日差しに瞳を閉じ、大きく息を吸う。
そういえば最近の梅雨は雨が降らない。今年もあんまり降らなかった、暑い、と長い独り言を心中で零し、化学教師は冷たいフローリングをまたごろりと寝返りを打った。
冷房が効いているはずの室内も蝉の声で暑苦しい。蝉の声は夕方になって一層激しさを増したようで、化学教師はいらいらと髪をかきあげる。けれども少しも涼しくならず、蝉の声にぐったりと瞳を閉じるとすっと息を吐いた。そしてこの呪文の言葉を唱えれば世の中どうとでもなる、と遠い昔に教えられた呪文を暑い、と唸りながら口に乗せた。
「かーんじーざいぼーさつ、まーかーはんにゃーはーらーみったーしんぎょう、チーン……」
「……。チーンまで口で言うな」
「だって暑いー般若心経でも唱えてないと心頭滅却できないよー」
無駄な知識ばかりある日本文化かぶれの化学教師の喚きに、この部屋の住人である体育教師は手にしていたマガジンを閉じた。そしてフローリングに散らばる金の髪をぞんざいに撫でる。
「まったくおまえは無駄なことばかり知ってるな。ちなみになんださっきの般若心経は。ちゃんと漢字で発音しやがれ」
「いいじゃんー。弘法大師はそんな小さなことなんて気にしないよー」
「……おまえ相変わらずマニアなこと知ってんな。イタリアの本屋には空海の本でもあんのか?」
「違うよー。オレの叔父さんがー、仏像修復師なのー」
ぺろりと返された、馴染みの無い単語に体育教師が眉を顰める。
「……仏像修復師?」
「そうだよー」
言ってなかったー?とフローリングから見上げられ、黒鋼はふと黙り込んだ。考え込みながら金の髪をくるくると指に絡ませ、呟く。
「……日本には仏像修復師なんて、そんなにいないはずだが…」
「そうみたいだねー」
頷き、ぐりぐりと額を黒鋼の足に擦り付けると甘えるようにファイの細い指が太腿を撫でる。
「でも珍しいねぇ。仏像修復師なんて、あんまり知ってるひといないけど」
黒たん意外と物知りだねーところりと顔をこちらに向けた化学教師へ、また体育教師は口を開いた。
「……ちなみに、名前聞いても良いか」
「アシュラ」
ガツ、と黒鋼の後頭部が小気味良い音を立てた。
「ちょっ、黒たん大丈夫?」
突然頭をぶつけた相手にファイがフローリングから身を起こした。顔を覗き込み、大丈夫?と問うてくる相手に大丈夫だ、と返すと黒鋼は低く唸り、ため息を吐き出した。さすさすと後頭部を撫でてくる手にファイを見返し、あのな、と続ける。
「んん?」
「俺の親父が死んでもう二十三年になる」
「っ、えっ?」
「今年は帰ろうかと思っていたところだ」
「あ、そうなの?じゃあ夏休み静かだねぇ」
「おまえは帰らないのか、イタリア」
「あはははーオレが帰るとこなんて、この堀鐔学園の職員宿舎しか無いよー」
あっけらかんと返された言葉に、黒鋼がファイの頬をくすぐった。
「だったら俺と一緒に来い」
蝉の声が急に激しさを増した。その蝉の声にしばらく耳をじっと傾けていたファイが、別に行ってもいいけどー、と首をきょとりと倒した。
「今まで黒たん、そんなこと一度も言わなかったじゃん」
なんで?とまた首を反対に倒してファイが問うと、紅い瞳がちろりと逸らされる。
「別に」
「ふぅん」
へんな黒たんーとファイが続け、いつに帰るのー?と壁に掛かっているカレンダーへと目を凝らした。
◇八月十二日
堀鐔学園から新幹線に乗り、在来線、バスを乗り継ぎ気付けば移動だけで四時間が経過していた。陽射しは幾分か和らぎ、肌に触れる空気もさらりとしている。バスを降りてすぐに見つけた小さな花屋で花を買い、緑が色濃い辺りをきょろりと見渡すと、黒鋼はこっちだ、とファイに坂の上にある大きな寺院を指差した。
「お墓ってどこにあるの?あのお寺?」
「ああ」
暑いねぇ、とファイが玉砂利をざりざりと楽しげな音を立てながら歩いていると、緩やかな坂道を上り切ったところでその音がぴたりと止んだ。
ファイは墓前へとささげる菊の花を持ったまま、ぽかんと目の前の着流し姿の男を見上げた。山門に背を凭れさせ、不敵に笑っている人物は誰だろうと首を傾げていると、ファイの隣にいた黒鋼から小さく舌打ちが聞こえた。
目の前の男はファイには一目もくれず、ただにやにやと隣の黒鋼を見ている。その男の瞳は黒鋼と同じ紅で、どことなく近寄りがたい空気を身に纏っていた。
これは一体どういうこと、と震える手をきゅっと握ると、手にしていた菊の感触にハッと我に返り、ファイはやっと息を吸い込んだ。
一言で言えば精悍だ。今日明日、死にそうにも見えない。そしてどこをどう見てもこの人物は彼の父親だとファイが本能で理解し、わなわなと震える肩をどうにか宥めて自分の隣に立っている男を見上げた。そして不躾にも菊でその人物を指し、ただ一言叫んだ。
「生きてんじゃん!」
「生きてたな」
残念ながら、と呟く体育教師は、完璧に明後日のほうを向いている。
「なにゆってんのッ?じゃあ牛乳とトマトジュースを混ぜて飲んで心肺停止とか全部嘘ッ?」
「俺は牛乳とトマトジュースだけは死んでも飲まねぇ」
「だからってなにそんな愉快な死因で勝手に殺してんのっ?」
バカ!とファイが黒鋼を叱り、次に深々と頭を下げた。
「すみません、生きていらっしゃると伺ってたら菊なんて持ってこなかったのに!」
そこまで忙しなく続け、ファイがぱっと顔を上げた。
黒鋼の父親はそこでやっとファイの顔をまじまじと見つめ、ぞり、と顎を撫でた。
「……なんだこの綺麗でかわいらしい生き物は。妖精か?」
「イタリア人だ」
「オスか、メスか?」
「男だ」
黒鋼の返事に、そうか、と大きく頷いて息子と同じ紅い瞳を細め、真面目腐った顔で呟いた。
「オスの妖精か」
よろしく、と同僚の化学教師に向かって手を差し出す父親の尻に、黒鋼は思い切り後ろ回し蹴りを叩きつけるために大きく振りかぶった。
◇
堀鐔学園から新幹線に乗り、在来線、バスを乗り継ぎ、坂の上を上りきったそこは弱肉強食の世界だった。
黒鋼の右足は痛烈な後ろ回し蹴りを決める直前で止められ、あっという間に体の軸を奪われたのかファイが気付いた時には玉砂利へと仰向けに倒れている黒鋼の姿が見えた。
一瞬だけ神隠しにあっていたのかとファイがぽかんといつの間にか倒れている黒鋼を見ていると甘い、とすぐそばで声が聞こえ、はっと気付いた時にはその人物はざりざりと砂利の音を鳴らせて振り返りもせずに消えて行った。その姿を見ながら、きっと日本のサムライとかニンジャはこんな感じだとファイはただ呆然と立ち竦んだ。
武家屋敷かというような広い家に通され、夕食はきっと精進料理だと心をときめかせていると豪華絢爛な舟盛りだった。血生臭い、と透き通った魚の切り身を睨みつけているとその舟盛りの前でサムライは手の甲につけた塩を舐めながら酒を飲んでいる。
恐る恐るファイが住職の前に座り、ぺこりと頭を下げるとにやりと笑みを向けられた。
「名前は?」
「あ、ファイ・D・フローライトと申します」
「なんて呼べば良いんだ」
くる、とファイの隣にいる黒鋼へと顔を向けると、なんとでも呼べ、と素気無い答えが返った。
「ファイ、ディー?ディーってのは何の略だ」
そういえば聞いたことがないなと黒鋼が卓袱台に肘をつき、隣のファイを見遣った。当の本人は考え込むように首を傾げ、右斜め上を向いている。適当な答えを見付けたのか、んー、と呟き、蒼い瞳を再び前へと向けた。
「一種の願掛けですね、父親の」
適当な返事にふぅん、と返し、教師か?とまた息子へと問うた。
「うちの化学教師だ」
「そうか。職場恋愛なんだな」
「しょ、職場恋愛って」
「どうして日本に来たんだ?」
何気なく問われた言葉にファイが詰まり、のろのろと箸に手を伸ばした。箸を取ったが何も食べられるものがなく固まっていると、隣の箸がひょいひょいひょいと小皿に切り身を移し、ぽす、と金の髪を撫でた。
焼いてもらってくる、とファイの髪を無言で撫で、ファイもにこりと返した。つい出てしまった笑みにはっと気付き、ファイが慌てて前を向くと頬杖をついてにやにやと笑っている住職の姿がそこにあった。なんとも居た堪れなくなり頭を下げる。
「すっ、すみません」
「構わん。恋人同士なら普通のことだ。刺身は食えねぇんだな」
悪かった、と謝罪され、ファイがふるふると首を振った。
「好きなもんはあるか」
好きなもの、と急に問われ、ファイが押し黙った。とりあえず昨日ふたりで食べた昼食を思い出し、首を傾げながら答える。
「そうめん、ですかね?」
「そうめん?そうか。だったら明日の昼はそうめんだな。あと、うちのが作るわらび餅は最高だから作ってもらおう」
それが良い、と続けて、住職は満足そうに酒を飲んだ。うまい、と舌を鳴らしてまた酒を舐めるように飲む住職を、ファイはしげしげと見詰めた。
黒鋼には生臭坊主だと教えられた。頭は丸めておらず、酒は飲むしこの食卓には肉も魚も並んでいる。このひとたちも肉や魚も食べるのかと住職である彼を遠慮もなしに見詰めていると、面映そうに肩を竦めて酒をコトリと置いた。
「なんだよ、照れるじゃねぇか」
「いえ……かっこいいなーと思って」
「そうだろうそうだろう。おまえもかわいくて美人だぞ」
カラカラと笑ったところで黒鋼がコラ、と言いながら戻ってきた。何笑ってんだと住職を睨みつけ、ファイに火を通した切り身が乗った小皿を渡す。住職はにやりと男らしい笑みを息子へと向けると、身を乗り出しておい、と声を掛けた。箸を取り、マグロの切り身を口に運んだ黒鋼は何だよ、とぞんざいに返す。
「教師はうまく行ってるのか」
「まぁな」
「おまえが結婚をしないのは、不能だからだと思っていた」
息子を気遣う会話は一瞬で終わり、マグロが喉に詰まったのか、ぐ、と黒鋼の箸が止まる。ぶほ!と口の中のものを全て食卓へとぶちまけ、それから数度激しく咳き込むと卓へと上体が沈んだ。
「ちょ、黒たん大丈夫!?」
思わずファイが黒鋼の背中を叩いた。その親しい呼びかけにふと住職が首を傾げ、息子に問う。
「黒たん?おまえそんなかわいい名前で呼ばれてんのか」
「あ、すみません、黒鋼先生、大丈夫?」
「黒たんかーかわいいなぁ」
にやにやと笑いながら住職が突っ伏した黒鋼を見遣り、未だ突っ伏している息子へとカラカラと言葉を投げた。
「不能じゃなかったのかーははははは」
母さん赤飯だーと台所へ向かって声を張り上げた住職に、ファイが首を傾げた。じっくりと考え込み、突っ伏している黒鋼をじっと見詰める。
「不能?」
首を傾げながらの言葉を受けて住職がああ、と続け、にやりとまた口角を上げた。
「漢字は分かるか?」
「はい。大好きですけど」
「能力の上に打ち消しがついて能無しってことだ。つまり、勃たねぇってことになる」
下品にも中指を立て、突き上げる動作をしながらにやりと笑う父親をぽかんと眺め、次にファイが隣で撃沈している黒鋼の後頭部を眺めた。そして納得したのか口を開く。
「……えっ?不能?不能ってそういう意味なの?っていうか誰が不能っ!?」
毎回、それなりに泣かされているファイが不能の言葉を理解し、聞き捨てならないとばかりに黒鋼へと眉を吊り上げた。
「なんだ。やっぱりセックスしてんのか」
ふたりのやり取りに頬杖をついて笑い、にやにやと父親は息子を見遣った。
「良かったなぁ勃って」
「……その口を今すぐ閉じろ」
「しかし選りに選って妖精か。父さんは安心したぞ」
な、とファイの顔を覗き込み、にかっと笑みを向けるとぐしゃぐしゃと金髪を撫でた。
「う、うわ」
ぐしゃぐしゃとかき混ぜられながら小さく叫び、ファイが黒たん、と黒鋼の名を呼ぶ。その声に黒鋼がすぐさま顔を起こし、父親の手をはたいた。
「こら、触んな」
「ああ、悪い悪い。あまりにもかわいくてな」
ぱっと手を離し、紅い瞳が柔らかくファイの瞳を覗き込んだ。視線が合うとその瞳はますます細められ、その笑みにファイはぎこちなく視線を逸らす。ふらりと食卓の上に視線を走らせたファイは味噌汁を引き寄せると中身をぐるぐるとかき混ぜ、浮かんだ麩をぱくりと口に運んだ。
◇
風呂に入り、黒鋼とファイが通された二階の客間へと足を運ぶ頃には二十三時を回っていた。
とにかく疲れた。一緒に風呂へ入れと風呂へ押し込まれ、始終ふたりは無言だった。気まずく、そして気恥ずかしい空気で廊下を歩き、ファイが行き着いた部屋のふすまを指差す。
「……この部屋?」
「……ああ」
開けるね、と静かにふすまを引くと、そこはほの暗く光を調節されていた。
一組だけ用意された布団、照明は趣のある有明行灯で、すぐそばにはティッシュボックスが用意されていた。もしかしたらあれは避妊具かもしれない。それを認めてファイがぐったりとふすまに手を突き、うな垂れる。そしてただぽつりと呟いた。
「……ムーディ……」
「……なに考えてんだあのくそジジイ……」
低く響いた声にファイは肩を竦め、ちろりと隣を見遣る。
「お父さんって意外とムード派なんだね」
きみもちょっとは見習ったら、と黒鋼へ返すと、ファイはその部屋へと足を運んだ。すたすたと歩いていくファイに黒鋼が眉を寄せる。
「おい、こんな部屋で寝るのか?」
「今日はちょっと疲れた」
少しトーンが低いファイの声に黒鋼は肩を竦め、後ろ手にふすまを閉めた。タン、と静かに響いた音にファイは照明を落とし、いつもと同じ布団の左側へ腰を下ろす。ころりと寝転がると暗闇の中で黒鋼の気配をすぐそばに感じ、自分と同じく身を横たえた相手へと手を伸ばしてきゅうと抱きついた。抱きついたと同時に頭を抱きこまれ、いつもと同じように髪に口づけを落とされる。
もう寝ろ、と落ちた言葉に黒鋼の胸に頬を押し付けると知らずに大きなため息が漏れた。すると緩んだ気とともにぽつりと言葉が口を突いて出た。
「……疲れた」
「悪かったな、本当に」
ついぺろりと出てしまった言葉にファイがぱっと胸から顔をあげ、ふるりと首を振った。
「や、違うんだよ。ちょっと移動がしんどかったかなって」
「嘘つけ。賑やかなのは苦手だろう。悪かった連れてきて」
黒鋼の手がファイの頬を労うように撫で、髪をひっぱる。その仕草に口をへの字に押し曲げていたファイがのろのろとまた黒鋼の胸に顔を埋めた。
「……疲れた」
「お疲れさん」
「……だってオレ、こんな賑やかなごはんなんて食べたことないもん……」
「いっつもうるさいだろうがおまえは」
「……初体験なんですー」
そうか、と黒鋼が返し、ファイの足を挟みこんだ。ファイの冷えた足がじんわりとあたたかくなり、いつもの寝る体勢にファイも黒鋼の背に手を回して瞳を閉じた。
こうして抱き合っていても心地よい。
夜は冷えると言っていた黒鋼の言葉は嘘ではなく、肌になじむいつもの体温にも心が凪ぐ。瞳を閉じて耳を澄ますと、このひとつ屋根の下にいる他人の気配に小さくファイの口が笑みを刻んだ。
「……きみってこんな賑やかな家庭で育ったんだね……」
「まぁ、静かではねぇな」
「……おじさんって何かの武道やってるの?」
「古武道だ」
あいつにはまだ勝てねぇ、と悔しげに落とされた言葉にファイが胸に抱かれたまま小さく笑った。
「きみが剣道やってるのもおじさんの影響?」
「道を学べって言われてな」
ふぅん、とファイが返し、鼻を胸に擦り付けた。
思えば、今まで黒鋼とこのような話をしたことはない。
剣道をやっていることも、体育教師の道を選んだことも、両親のことも、実家がどこなのかも気にしたことは無かった。
「……大事に育てられたんだねぇ」
それには微妙な沈黙が返り、ファイが思わず小さく笑った。ぺったりと胸に頬を擦り付けて瞳を閉じ、ただとくとくと響く心音に体の力を抜いた。
「……やっぱりきみに触れてると落ち着くー」
「そりゃ光栄だ」
はは、と笑った黒鋼に、ファイは抱き締められたままむっつりと顔を上げた。
「っていうかー、今まで一度も実家が寺なんて聞いたこと無かったんですけどー」
「おまえも一切自分のこと喋らなかっただろうが」
「……そうだけどさー」
じゃあどうして話してくれたの、とファイが問うと、黒鋼がなでなでと頬を撫でた。よしよし、と猫をあやすように頬を撫でられ、話を逸らされたと思ったファイが唇を尖らせた。その顔にく、と笑い、尖らせた唇を啄ばんだ。
「明日、本尊を見せてやる」
「ご本尊?」
「うちの本尊も古くてな。ついこの前だ、修復したのは」
十年くらい前か?と続いた言葉に、ファイが目をぱちぱちさせた。
「あ、そうなの?」
「修復したのは、アシュラっつう修復師だ」
しん、とふたりの間に奇妙な沈黙が落ちた。
虫の声が静かに部屋を満たし、ごく近い位置でふたりはお互いの顔をただ黙って覗き込む。すごい偶然、などとは言えず、ファイが狐につままれたような表情で呟いた。
「……マジで?」
当たり前だバカが、と黒鋼が小さく言葉を落とし、しっとりとファイの唇を塞いだ。
■うんぽこめのもっそ ニ長調 作品3(小龍ユゥイ+ファイ)450円
四月。
小龍は堀鐔学園大学部 工学部建築学科へと進学した。
時計が欲しいですと珍しくおねだりされ、進学のお祝いにと手渡すと嬉しいです、と年相応の笑顔を浮かべて早速腕にはめていた。
その時計をはめた腕で背後からぎゅうぎゅう抱き締められながら、ユゥイは手早くフライパンを動かす。けれども背後にぺったりと張り付いている小龍が邪魔で仕方が無い。
「小龍くーん、邪魔なんだけど」
何拗ねてんの?とフライパンを動かしていた腕を止めると、ちろりと見上げられた。その咎めるような視線にユゥイがなぁに?と視線で問うと、小龍がむっつりと口を開いた。
「今日、大学のバスケ部に行ってみたんですけど、早速言われましたよ」
「ん?何を?」
「ファイ先生の双子のユゥイ先生。超美人だって。先輩たちはあなたがここに来る前に大学に行かれたみたいで、死ぬほど悔しがってました。なんで大学部にまであなたのことが知れ渡ってるんですか」
「いや、それをオレに言われても知らないけど」
「浮気したら殺しますからね」
「浮気って、たとえば誰と?」
「生徒とか」
真面目腐った顔で返った言葉に、ユゥイが吹き出した。
「く、あははははは!言い寄ってくる生徒なんてきみくらいなもんでしょ?そんなかわいいこと言わないでよ」
笑いながら振り向かれ、小龍がむっと鼻を鳴らせた。すぐそばにある肩を服の上から噛み、うなじを舐めるとちょっと、と声が落ちる。
「何か食べたいって言ったのきみでしょう?もうちょっとで出来るから待って」
「ユゥイさんで構いませんよ」
囁き、小龍が首に残った痕にじっくりと歯を立てた。
「……んー。痛」
「肩の噛み跡も、薄くなってきましたしね」
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